誇大妄想をするHSPの戯言

HSP/HSSである中年男性が妄想をひたすらに書きなぐる落書き場

飽き

とにかく僕は飽きるのが早い。

 前のブログで話した通り、僕は飽きるのが早い。
ハマる時は滅茶苦茶のめり込んで、それこそ数時間~数週間ほどそれしかやらないときもある。
ゲームでもそうだし、小説でもそう。ゲームの場合だとほぼ寝ずに30時間くらいやって、ようやく落ち着く感じだし、
小説に至っては好きな作家のシリーズを大人買いして、その日のうちに長編を3~4冊ほど読んでしまう。
 ハマる時は――だけど。

 問題は飽きた時だ。これまで夢中になっていたのがまるで嘘のように、パタリと止まってしまう。
 脳内が本当に子どものような構造をしているのかもしれない。
 ただ飽きるという行動自体は人間である以上、必要なものだし、もしそのような本能的な行動がなかったら、
人間はここまで進化していないし、文明も発達していないだろうなぁと考える。

 でも、僕にとって飽きるというのは本当に天敵のようなものだ。
 仕事でも、数日間同じ作業をしていると当然のごとく飽きてくる。
 会社を辞める前はそのようなことはなかった(と、いうよりも作業量が多すぎて処理することが難しかった)から、
僕は多分、仕事そのものに飽きているというのではなく、刺激のない作業の連続が耐えられないのかもしれない。
 

 何を甘えたことを言っているんだ! と言われそうだけど、僕は単純な作業を一時間以上やると、なんだか頭が狂ってしまいそうになる。
何も考えずに作業するということは、そもそも人間に向いていないような気がする。そんなことは機械に任せておけばいい話だ。

 ただそのようなことを言っても、そのような仕事がなくなることはない――と、思う。とりあえず今のところは。
時代はどんどんAI化されて、機械化されて、最終的に人間がすべきことは限られていく世界になるかと思う。

 その中で大事なのはオリジナルティであって、創造性だと感じる。いや、普通に考えればそのようなことが大事なのは
三者から見れば明白なことなのだけど。

 最近になって思うのは、自分がこれまで仕事とかゲームとか読書とか、スポーツでも――やり続けていたことを考えてみる。
すると、そこで出てきた答えというのがある程度「ランダム性」が必要になってくるということだ。

 僕は先が分かっている未来に興味を持てない、それはまるでスーパーマリオで1-1を何度も何度も繰り返してゲームをしているような
そんな感覚になる。
 そこで必要になってくるのは、難易度を調整するという選択肢になってくるのだけれど、それも自分にとってはなかなか難しい問題だ。

例えば難易度を上げて、問題をクリアしたことにしよう。すると、今までやってきた問題がひどく簡単になってしまって、それを再びやるのが
非常に億劫になるというか、退屈になるデメリットがある。
簡単な問題で所謂、無双状態で「俺TUEEE」みたいな感覚になるのは悪いことじゃないし、それはそれで楽しいとは思う。
でもやっぱり最終的に、飽きてしまうのが落ちなのだ。

 だから、僕はある程度のランダム性、その解決しようとする問題の難易度やら方法などはある程度複雑化した方が楽しいと感じる。
 ……かといって、難易度を上げすぎてもそれはそれで挫折してしまって、問題そのものを解決するに至らなくなる。それでは本末転倒だ。

100人いたら、100通りの答えがあると言われるけれど、実際のところ、どうなのだろう?
僕は1の問題に対して、100以上の疑問と目も当てられない答えを考えつくことができるから、一概にそうは言えないような気がする。