誇大妄想をするHSPの戯言

HSP/HSSである中年男性が妄想をひたすらに書きなぐる落書き場

水と油

 暇つぶしがてらに、誰からしらが書いたブログの記事を読んだんだけど、

その内容が「ガチ勢」と「エンジョイ勢」についてだった。

 このブログ、というか記事の内容は主にゲームにおける「ガチ勢」と「エンジョイ勢」の話題なんだけれど、なんというかこの記事を書いた人はどうやら「ガチ勢」の方らしく「エンジョイ勢ふざけんな!」みたいな内容のものだった。

 記事の内容から、深い怒りを感じる内容だったんだけれど、なんというか、なんだろうなぁ、なんとも言えない感覚になった。

 内容として「エンジョイ勢」といいつつ「ガチ勢を馬鹿にした行動や言動」があるからそんな風に「楽しければいいと考えるエンジョイ勢なんか、エンジョイしていないだけの阿呆だろう!」みたいな文章だった。

 きっとこの記事を書いた人は色々と嫌な経験やら体験やら、実際にゲームをプレイしている最中にそういった目にあってきた人なんだと思う。

 自分も昔、モンハンにハマっていた時は確かに「ガチ勢」と「エンジョイ勢」のギスギスオンラインの雰囲気を味わったことがあるから、その記事を書いた人の気持ちが分からないわけでもない。

 今の僕は「ガチ勢」でも「エンジョイ勢」でもなく「まったり勢」なので、ゲームに関してはそれほど気持ちに熱が入っていないのが現状であるけれど、それはあくまで「まったり勢」の意見の一つであり、

 実際にyoutubeで金銭を得て生活している人や、ストーリーマー。ただ単に有名になりたくて、名前を売りたくて活動している人もいるし、純粋に強くなりたい、ただただゲームがうまくなりたいから、そのついでに動画サイトで生配信している人もいる。

 色々な人がいるのが、オンラインであって、ゲームであって、ゲーマーだと思う。

 だから、もしその「ガチ勢」が「エンジョイ勢」を叩いている記事に何か意見を申し付けるのであればそれはなんというか、「水と油の関係」だからどうしようもないのでは? と思ってしまう。

 そもそも分かりあえることがないのが、「ガチ勢」と「エンジョイ勢」というものではないだろうか? と思う。

 お金を得たくて、有名になりたくて――という気持ちでゲームをプレイしている人は、その気持ちがプレイ内容に反映されるだろうし、やっぱり一分一秒、無駄には出来ないのが心境だと思う。実際、自分がもしガチ勢だったら「本当に効率重視の、自分のプレイヤースキルを上げるために出来るだけ多くの時間を費やしたい」気持ちになるのは酷く当然のことだと思う。

 エンジョイ勢ならば、「自分がいかに楽しくプレイできるか?」を中心に重荷を置くから、そのための一分一秒は別に無駄にしてもかまわないし、むしろその「無駄」が自分がゲームする上で「大切なもの」だったりする。

 そう考えると、まさに水と油だ。混じり合うことは決してないだろう。何かしらの革命が起きない限りは。

 ただ、ここで注意しないといけないのは、「何事にも最低限のマナーとルールが存在している」ということである。

 エンジョイ勢は「自分が(或いは自分たちが)楽しいと思えることを重点的においてゲームをしている」けれどそれは「じゃあ好き勝手やろうぜ! ルールなんか関係ねぇぜ!」とイコールにはならない。自分勝手にやっていいことは「自由」ではなく、ただ単に「迷惑な行為」でしかない。

 そこを履き違えている人が多いから、多分、上記で言った方がブログで怒りをぶちまけたんだと思う。

 楽しい=自由=好き勝手やっていい、というのはあまりにも小学生的発想で、誰からも好かれることはほぼ無い行動である。もしかしたら、そういった自分勝手にやられることが好きな人もいるだろうけれど、自分がコーヒーを飲んでいる時に、無理やりその中に「塩」を混入されたら誰だって怒るだろうし、楽しいとは思えない。多分、それと同じことなんだと思う。ゲームでも、現実でも、仕事でも、最低限のマナーとルールを守らない人は好かれることは一生ないと僕は感じている。

 だからと言ってガチ勢に全くの非がないとは思えない。ガチ勢はガチ勢で「効率重視の結果重視なわけだから、そこに楽しさを求めるのはどうなんだろう?」と考えている人もいるからだ。つまり、無駄を黙認している人を嫌っているか、無駄そのものを「悪」だと認識しているような傾向があると感じる。

 そもそもゲームは「娯楽」であり「遊び」だと僕は思っている。

 「ゲームは遊びじゃねぇんだよ!」という意見もあるけれど、それはあくまで「ゲームで生計を立てている人」や「ゲームが己の価値観の最上位にいる人」の意見であって、本来は「娯楽」なのだ。だから、自分が、或いは自分を含む全員が楽しいと感じられない「娯楽」は「娯楽」ではないし、逆に「ストレス」になる。それだと、なんだか本末転倒な感じがする。ゲームはストレス解消の行動でもあるのに、ストレスを貯めてしまっては何の意味もないかと思う――もし、そこに意味を見出すのであれば、修行か何か? なのだろうか。僕はゲームにまで修行要素を取り入れて、生活はしていきたいとは思わない。

 

 ながったらしい感じで文章を書いてしまったけれど、きっとエンジョイ勢を嫌っている方も実際は「エンジョイ勢」だからと言って「マナーとルール」を破るな! と訴えたいのが本題であって、本心なのだろうとは思う。それには僕は賛成するし、そうでなければいけないとは思う。

 何事にもルールがあって、マナーがあるのは、それは「人間」がいるからで、「相手がいるからこそ」なんだと思う。              

ケツイ

 明日あたりにクリアできそうと言っておいて、結局、今日「undertale」を全ルートクリアしたkagariです。

 本当に今更、アンダーテールをクリアしたんだけれど、あれだ。もしYoutubeでしか「undertale」を見ていない人がいたら是非ともプレイしてほしいと思える作品だった。

 実際にやらないと、敵の攻撃をかわすことの難しさとか、Pルートの感動やら、Gルートの面倒くささが分からないし、やっぱりね、実際にやると「ゲームから感じれること」が見るよりも2倍も3倍も違う。……まぁyoutubeとかのプレイ動画見るだけで、お腹いっぱいになったりする場合もあるけれど。

 

 ほんとSANSは良かった。というか、ストーリィ的にGルートこそが「undertale」の良さというか、「ケツイ」を感じられた気がする。個人的に。

 勿論、Pルートも感動はした。特に「アズリエル」が「もうやめろよ! 倒れろよ!」って叫びながら攻撃する場面は涙腺が緩くなった。

 何というかアズリエルは子どもなんだよなぁ、と思う。表では残酷なことや、冷酷なことを言ったり行動はしているけれど、根っからの「悪」ではないところが生々しいというか、子どもっぽさがあって良かった。アズリエルは破壊を求めているんじゃなくて、理解しあえる仲間が欲しかっただけで、そういった純粋な要求は本当に人間の子どもと大差ないというか、一緒なんだなぁとつくづく思った。

 ただ個人的にGルートが大好きすぎてやばいんだよなぁ……アンダインとサンズの「ケツイ」が、なんというか心に響くというか。アンダイン戦で若干、心が折れかかったけれど、まぁなんとかなった。キーボード操作がやりずらい。こういった弾幕ゲーはコントローラーの方が個人的にいいような気がしてきた。今度、試してみよう。

 

 サンズに至ってはもう、BGMを聞きたいがためにGルートをやっていると言っても過言ではないくらいにBGMが好き。

 「何やっても無駄」といいつつ「黙って見過ごす訳にはいかない」と言っているあたり、サンズは多分、誰よりも虚無を感じていて、絶望を感じていて、それでいて自分がいる世界軸で「やるべきケツイ」を持っている奴だから、本当に好き。

 というか、必殺技がいちいちカッコよすぎるんだよなぁ。骨々しい形をしたビームとか厨二病の血が騒いじゃう。

 続編もあるらしいけれど、それはまぁ気分が向いたらやろうかと思っている所存です。それよりも、これからの自分の将来―――が不安で自分のケツイが壊れそう。

 

SANSの川

 今更ながら、ほんと超絶今更「under tale」やってる。一年以上前に購入したきりやっていないので全ルート制覇の旅に出てる。

 P・NルートはクリアしてGルートのSANS戦までやっているんだけれど、多分、明日あたりにはクリアできそう。前々からyoutubeとかでGルートの動画を見ていたからかもしれないけれど、SANS戦は思ったより絶望感が無い感じ。ただ集中力が持たないから、連続してやるとダメかなぁー、あー、みたいな。アンダイン戦の方が絶望感があった。

 って、こんなゲームやっている暇あれば仕事探せよってなる話なんだけどさ。

 自分の人生にちょっと絶望している。ケツイが必要だ。

とりあえず一言だけ

  ストレングス・ファインダーの本を読み返した結果、「才能を活かす」ことが出来ても「お金を稼ぐ」ことが出来るわけではないという結論に達した。

 お金を稼ぐというのは、ちょっといやらしい表現だけれど、正確にいえば「才能をフルに使って仕事に活かす」のは今の自分には厳しいと思えた。

心にもないことを書いた結果

 おええええええええええええええええええええええええええええええええ。

 

 はい、こんにちわkagariです。よろしくお願いします。

 サポステにて「自分の経歴を書いて自己PRの文章」を書きましょう的なことをやることになったんですが……これがもうね、ほんと吐き気が止まらんくらい嫌だった。

 元々、自分の経歴なんて興味がない。というか、過去の自分に対して興味がない自分が、そんなことを書けと言われても、ものすんごくしんどいことである。

 でも書かないといけない。というか、履歴書とかそういった類の書類のことを書く際に、必ず書かなければいけない文章だから避けては通れない道である。

 そんな自分が吐き気を抑えながら書いた文章の内容として、「当たり障りのない文章であり、且つ、企業の人事部が好きそうな人格エピソードを盛り込んだストーリィ()」を書いた訳であるんだけど、この文章を読んだプロのキャリアコンスタントの女性の方が「素晴らしい! 完璧ですよ!」とマックの店員もびっくりの笑顔で言ってきた。

 

 おええええええええええええええええええええええええええええええええええ。

 ぜぇぜぇ、心の中で自分は「あttttttったりめぇええええええだろ」と思った。

 語弊のないように先に言っておくが、「完璧」「素晴らしい」とかの感想をもらえることが当たり前だということじゃなく、「他人が読めば十中八九は、「素晴らしい」と【思えそうな】文章」を自分は捏造した過ぎないのだ。

 簡単にいえば、表題にもあるような「心にもないこと」そのもの。

 自分は本当に心にないことを書くのが苦手だ。赤は赤だし、犬は犬だ。可愛いものは可愛いし、醜いものは醜い。それが当然の反応だし、それが普通だと信じている。

 つまり何が言いたいかというと、心にもないこと書くと自分は具合が悪くなる。

 捏造といったけれど、全部が全部虚偽の文章を書いたわけじゃない。さっきも言った通り、「元のクソつまらない自分の過去」を「他人が読めば素晴らしいと思えるような文章にコーティング」した感じである。赤色の靴に、黒色の塗装スプレーをふんだんに使って塗り替えた感覚といった方が分かりやすいだろうが? とにかく、そういった文章は本当に吐き気がする。何より楽しくないし、一ミリも面白くない。自分が。

 「じゃあ、そのまま書けばいいじゃん」となるわけだが、それだと「OK」がもらえないネガティブな文章になるし、そういった文章を読んだ企業が「よし、採用!」と思えるか? といえば限りなくゼロに近い可能性だと自分は思っている。

 ※正直な感想を述べている点は評価されるかも知れないが。

 「明るく」「元気に」「他人を思い」「他人を気遣い」「みんなのため」「会社のため」

 そういった言葉が本当に今の会社や企業って好きだよなぁと心に思う。

 勿論、そういった言葉だけじゃなく、きちんとその人の人間性や価値観に沿って評価してくれる企業もいるだろうけれど、自分が今まで受けてきた会社はみんな前者に当てはまる。まぁ……普通に考えたら「消極的な笑顔の少ない人間」より「積極的に前向きに、いつも笑顔でにこにこしている人間」の方が採用されるに決まっているんだけども。笑顔が必要な人間は「矢澤にこ」ちゃんだけで僕は良いと思うわ。本当に。あ、あと「船見結衣」ちゃんくらいかな。うん。

 

 と、まぁ、変なブログになったけど、みんなも心にもない文章は書かないことを強く勧めします。僕は慣れそうにも、成れそうにも、ない。

 

動かなければ死ぬしかない

  前回の続きから書きます。

 サポステの利用の感想を、一言述べるのであれば、表題の通りかなと思う。

「死ぬ」というのはやや過激な表現であるのだけれど、実際のところ、こういった施設を利用しても、自分の我儘や欲望を抑えられない、或いは「自分を抑え込むものは全て悪だ」という心境の人は、最終的に「死ぬしかない」としか言いようがないと個人的に思う。

 他人が何とかしてくれる。

 他人が全てを解決してくれる。

 そういった人は静かに老いて、静かに人生を終えるしかない、と思う。

 動かなければ、或いは歩みださなければ。自分の欲するものは手に入らない。

 非情な現実かも知れないが、それが現実であり、真理の一つのような気がしてならない。個人的に、だけども。

 

 と、まぁそんな個人的な思いはさておき。サポステのことについて話そうと思う。

多分、サポステのことについて一番不安なのが、どういった活動をしているのか? とか、どういった人が利用しているのか? ということだと思う。

 活動に関しては、先日述べた通り、学校みたいに「がやがや」した環境ではなく、一昔前の塾みたいな雰囲気だと思えばいいかと。みんなで話したり、談笑したりすることもあったりはするけれど、それはあくまで「次いで」と考えればいいし、喋りたくなければ、その旨を講師の人に話せば無理強いはしてこないはず。

 それで、次に、どういった人が利用しているのか? という点について。

あくまで自分が現在通っているサポステでの話になるけれど、受講している人たちみんな「優しい」人であると思う。それでいてある程度「常識」を知っている人たちが多い気がした。我儘で意地悪な人は、今のところ見かけていない。強いて言えば、一人の講師がちょっと高圧的な女性がいたくらいか。

 その女性は恐らく僕のことを嫌っている節がある(というより、如何にもオタクっぽい人が好きじゃないような気がするが)。

 でも、僕はその人に出来るだけ声をかけている。なんというか、気になるのだ。

 いや、別に愛しているとか好きとかの感情は全くもってないんだけど、どうしてこの人はそういった「高圧的な態度」を取るんだろうか? という風に、気になってしまう。もしかして、過去に自分の彼氏がオタクだったために、性格が歪んでしまったのかも知れないとか――――しょうもない、大変失礼な個人的妄想をしてしまう。これがまた楽しかったりする自分は変態なのかもしれないが、僕はその女性のことが好きか嫌いか? と言われたら、嫌いな方に感情が傾くんだけど、それよりも、「相手が何を考えて、そういった態度をしているのか?」という風な好奇心が勝ってしまう。

 現在の僕に友人が少ないのはそういった性格があるのかも知れないが、まぁ、犯罪まがいなことをしているわけではないし、これ以上嫌われることが分かったら、声をかけなければいい話である。

 ……まぁーた、話が脱線してしまったけれど。とにかく、サポステに通っている人は恐らく「優しい」人が多い気がする。

 講師に関しては、僕みたいなアカラサマナオタクっぽい人が苦手だったり、ごちゃごちゃ喋る人が嫌いだったり、やはり人間であるからに、そういった色んな人がいるから、少しだけ覚悟した方が良いかも知れない。とはいえ、そういった高圧的な態度を取る人は恐らく少数だろうから、そこまで身がまえる必要性はないかも知れないが。

 

 これまでのことを要約すると、

 

 

 ・サポステは全国に170件ほどあり、15歳~39歳までの若者を対象にしている。

 ・サポステの初回利用は、面談を中心に行う。この時に、素直に自分の心境や、家庭環境、経済状況などを話すこと。虚偽の報告をすると、職員が対応に困ることになるので注意。最終的に自分が不遇される状態になるので、しないこと。

 ・活動内容は、面談した後に決まる。人それぞれの活動になるので、社会復帰、職場復帰には個人差があることを認識すること。

 ・活動にあたって、自分のペースでスケジュールは決められるので無理をせずに時間をかけて活動することが可能。ただ、急な欠席などは施設の方に迷惑がかかるので、最低限のマナーは守ること。

 ・学校ではないので、講座中に騒いだり暴れたりしないこと。

 ・同じく学校ではないので「自分のことを心配してくれるだろう」という期待はしないこと。あくまで「自立・社会復帰の意志がある」人を前提にした施設であることを肝に銘じること。

 ・「やってくれるだろう」「してくれるだろう」という甘えは捨てること。サポステは貴方のお母さんでもお父さんでも、親友でもなんでもない。

 ・ただ、自分から率先すればするほど(積極的であればあるほど)、施設の人は歓迎してくれるし、それなりの対応をしてくれる。つまり、処遇が良くなるということ。

 ・精神的に異常がある、或いは疑いがある場合は「カウンセリング」を受けることが可能。※しかし、この場合は別所にお金がかかることがあるので注意すること。初回は無料なことが多いらしい。

 ・この施設は「社会復帰・就職支援」を目的としているため、ハローワークみたいに「直接的な仕事の紹介」は一切ないということを覚えておくこと。つまり、サポステを利用しても「仕事自体は自分で探す」のが基本となる。

 ※場合によっては、職員が引率してハローワークに行き、一緒に仕事を探すことが可能らしい。

 

 

 こんな感じになるだろうか。僕が通っているサポステではそのような感じの処遇を、現在受けている。

 もし、これを見ている方に「サポステ利用したいけれど、不安」という方がいたら、直接電話して「質問だけ」でもしても良いと思う。地域ごとに差があると思うので、分からないことがあったら聞くということをした方がいい。別に聞くだけならば、お金はかからない訳であるし。

 

 僕も無職のまま一年以上経過しているけれど、さすがにもう働こうと思っている。別に雇用形態はなんだってかまわないけれど、前回退職した理由が「精神的な圧力」だったため、そういった極力自分のストレスを起こさないような職場を選んでい最中なんだけど……そういった職場はないかもなぁと今日この頃思っている。

 できれば一人で黙々と何かをやれる職業が良いんだけども。

地域若者サポートステーションに行こうか悩んでいる人へ

  最近、考え事をしすぎて眠れないkagariです。よろしくお願いします。ねこです、よろしくお願いします。

 

 くだらない前置きは辞めにすることとして、表題でもあるように、今回は地域若者サポートステーション:通称サポステについて説明というか、僕が現に通っている最中なので、それについての感想を書き連ねていきたいと思います。

 今、現在、サポステに通うか迷っている人がいるならば、今から書くことをちょっとでも参考にしていただければ幸いかと。ただ、全国で160件程ある内の一つに通っているだけの感想であるため。これを読んでいる方の地域のサポステと全く同じ環境、待遇なのか? といえば決してそうではないと思うので、あくまで参考程度に留めてほしいなぁと。

 

 まずサポステはどういう所なのか? というと、全国にいる15歳~39歳までを対象にした「就職」及び「社会復帰」を目的とした施設です。要は、若者中心に自立支援する団体が運営する施設と認識してもらえればいいかと。

 引きこもりは勿論、ニートや就職したけれど様々な事情で辞めてしまい自信を無くしてしまった人まで、様々な人の相談の窓口になっています。

 具体的な処遇というか、実際にサポステに通うとどのような恩恵を受けられるかというと、上記にも書いてあるように「就職に関する、或いは社会復帰に関する相談」や「実際に、就職するにあたってのステップ」、「社会人としてどのような復帰を目指せばいいのか?」とか、そういった個人個人にアドバイスを送られる場所であると思っていただければいいかと。

 実際、自分も最初にこの施設に行って面談を受けた時に自分の経歴や精神的な状態、家庭環境をちゃんと考慮した上で、担当の職員さんが真摯に対応・相談に乗ってくれた。

 自分の過去や、家庭環境を無理に話す必要性はないかも知れないが、僕個人としては、そこは多少話すのが「おっくう」で、「辛いこと」でも「きちんと話すこと」をおすすめします。何故なら、話すことによって自分の気持ちがスッキリするし、何よりもありのままの自分の感情をぶつけることによって、職員もそれに応じた対応をしてくれるからだ。下手に見栄を張ったり、自分を偽ったりすれば、それこそ絡まった釣り糸のように相手も「どうすればいいやら」と頭を無駄に悩ませてしまう。そうなるのを避けるためにも、まず、サポステの最初の面談があるときは「出来るだけリラックスした心境で、ありのままの感情を、心境を打ち明けるべき」だと僕は思っている。

 

 その面談を経て、次のステップに移るわけなんだけど、ここから人それぞれ受ける内容が違うらしい。

 引きこもってしまっている人なら、社旗復帰を目的とした活動。

 再就職したいけれど、どうすればわからない人ならば、再就職するための活動。

 人が怖い、或いは人を信用しきれない人ならば、カウンセリングの紹介や対人になれさせるための活動。

 そういった活動を行うカリキュラムがあるようだ。

 ちなみに、活動っても「学校みたいにみんなでワイワイとやる」活動ではない。

 どちらかといえば講座みたいなもので、塾みたいな感じだと思ってもらえばいいかも知れない。

 これも全国各地で違うのかも知れないけれど、自分が通っているサポステではそのような感じの印象を受けた。

 ちなみに僕の場合は正社員の経験やら就職の経験などが多少あったので、社会復帰を中心とした講座や活動をするのではなく、「より自分に合った就職先」を選ぶために必要な活動をすることになった。

 ここで一つのメリットというか、良い面を感じた。

 それは「無理して通う必要がない」「あくまで自分のペースで通うことができる」点だ。自分が行きたいと思うならば、行けばいいし。「今日は体の具合が悪いからパス」ということもできる。毎日通うこともないし、周に一回のペースで、或いは月に1回のペースで、なんてことも可能だ。

 そういった意味では通うためのハードルが低い場所で、通うやすい施設、という感想を抱く。

 ただ、ここで注意してほしいことがある。

 

「あくまで【支援されたいと思う意思がある人】しか支援されない」ということだ。

 

 どういうことなのか? というと、簡単にいえば「求める人には(情報やそのプロセスを)与えるけれど、求めない人には何もやらないよ」って感じである。

 面談も受けた、相談も受けた。カリキュラムの日程も決まった。だけど自分は「特に何もしない」とか、「まぁ何もしなければ向こうから心配の電話かメールが来るっしょ」みたいな心境でいると痛い目を受けるので注意。

 要は「やる気のある人には優しくするけれど、それほどやる気がない人にはそれなりの対応しか我々はしないよ?」って感じである。

 人によっては「支援するって言っているのに、自分のことを放置しやがって!」と怒り狂う人がいるかも知れないが、よく考えてほしい。あくまでこの施設は、「就職や社会復帰をしたいという【意思】がある人に向けての施設」であって、「弱っている人をお助けするスーパーヒーローの団体様」ではないのだ。一から十までお世話してくれる便利屋でもなければ、あなたの親でもない。あくまで「自立」するための「施設」であることを認識してもらえれば良いかと思う。

 

 

 今日はここまでにします。また続きは、後日書きたいと思いますです。