誇大妄想をするHSPの戯言

HSP/HSSである中年男性が妄想をひたすらに書きなぐる落書き場

分別

「好きで心が弱いわけじゃない。
好きでこんな風に人生を送ってきたわけじゃない」

HSPの僕がJapanムサベツ街頭エンゼツ選手権があったなら、そう叫びたい。

考えても見てほしい。
RPGで例えるならば、防御力0の状態で魔王に戦いを挑んでいるようなものだ。
誰だって無謀だと言うだろう。馬鹿だと嘲笑されるだろう。

そもそも非効率的なんだ。僕の存在が。

そんな非効率的な存在を前線に立たせて、何が得られるだろうか?
そんな脆弱な存在を競争社会に放って、何が喜ばしいのだろうか?

僕は二十歳過ぎてから、そんなことを思って生きてきた。
でも、我慢した。世間から嫌われないように。嫌われたら余計に生きづらくなるから。
だから我慢し続けてきた。でも、ダメだった。
心がスライムだった。餅のように、ペチャンコにされて、無力感に苛まれる。
そして会社を辞めてしまった。そんなくだらない上っ面だけ立派な組織から弱々しく抜けた。

馬鹿にされて嬉しい人間なんていない。
いるとすれば、そいつはドМ野郎かどうしようもないラリッた人間だ。
だけど、人間ってどうしても自分よりも能力が低い人間を軽視する風潮はある。
その風潮は全員が全員でないにしろ、その少数の心無い人間が、優しい心の持ち主をターゲットに攻撃している気がしてならない。
弱いものいじめは楽しいもんだろうか?
いじめて、得られるものが仮に「自尊心」であるのならば、そいつの自尊心は
なんともくだらなくて幼稚で、クソの役にも立たないくらい、小さな玩具だと思う。
そいつらが大切にしているその小さな玩具に、僕は殺意すら覚える。

僕は効率的なことを望んでる。
一割の非効率的な遊びと、九割の実用的な働き。それが僕が求める黄金比

それでいいと思うんだけどなぁ。

能力が高い人間は能力が高い場所へ。
他人を比べて嘲笑する輩は、その類の人間と同じ場所へ。
心優しい人間は、心優しい楽園に。

要するに住み分けが必要だ。
区画が欲しい。
その方がよっぽど効率が良い――と、僕は思う。

でも現実世界はそのような面倒で、非効率的なことは確実にしないだろう。
そもそも心という存在が見えないから。区分けする判断基準も、見定める材料もない。

ただ、考えてもみてほしい。
蟻と恐竜が仲良くできるだろうか?
ペンギンと大鷲が正々堂々と競争できるだろうか?
仮に見た目が同じでも、本質が違うのならば、
それは同じ生き物でも、全くもって異なる結果が生まれ続けるだけだと、僕は思う。