誇大妄想をするHSPの戯言

HSP/HSSである中年男性が妄想をひたすらに書きなぐる落書き場

気持ち悪い群衆

朝。午前八時前後。駅前。白い線。ウザったい信号機。四車線道路。車車。人人人人人。自分とは似て異なる気持ち悪い生き物の群れ。

僕が会社員だった頃、そのように見えた世界の一部。

僕は人の軍勢を見ると、常に何かしらの疑問を感じてしまう。
人工的に作られた組織的な何かに自分が入ると、非常にその場所の空気が可笑しく、急に具合が悪くなる。

まるでそれは《何も疑問に思わない》玩具の兵隊が列を成して歩いているようだ。
僕は本当に吐き気がする。ついでに息苦しさも強烈に感じた。
何か違う。でも、受け入れないと広く大きく周りから憚られる。そうは感じていたし、実際はその通りなんだと思う。
でも、僕の体はそれに対して拒否反応を示している。これも事実だ。

ただ、本当に思うことは。あの軍勢に、僕も《何も疑問に思わない》で参加出来たら
この先の人生、どれほど楽になるだろう――というものだ。
理解されなくてもいい、分からなくてもいい、納得できなくてもいい。
ただただ、僕はあの軍勢に紛れ込んで、《何も考えなくていい》という一つの浄土に身を寄せられるのであれば、
僕はこれ以上ない幸せを得られるのかも知れないと、少し考えてしまう。

でも、それが出来ない。
何故なら、どうしても、頭で考えてしまうから。心で感じてしまうから。

これを、この感情を。世間一般様へ向けて適切な文章にまとめろと言われても、僕には無理だ。
本当に感覚的なものだから。心という存在をマッキ―の黒ペン一本で、書道紙にデッサンしてみろと言っているもんだ。
そんなの僕には無理なんだよ。むりむり。


ああ、全くもって息苦しいなぁ。この世界って。ほんとに笑っちゃうくらい。


この世界はきっと残酷で、本当に救いようもない、どうしようもない世界だけど――、
だけど自分の愛したい世界とか守りたい世界もあって、ぐちゃぐちゃしていて、それでいて気持ち悪い。

自分は無力だけど、それを認めてゆっくりと死にたくはない。
認めてしまった瞬間に、生に対して何も感じなくなる。

逞しく生きる力が欲しいけれど、自分の無力さを認められない我儘な心。


僕は思う。きっとHSPとかそういった類の人、……僕も含めてだけど。
そういった人たちはこういった様々な矛盾をずっとずっと背負い込んできて、人よりも何倍も辛い人生を送ってきたんだと思う。
僕はHSPの方々のブログやら体験談をすべて網羅しているわけでもないし、実際は「そんな甘いもんじゃねぇ!」と怒鳴られてしまう
部分があると思うけれど、《自分の中で常に矛盾と葛藤している》という点は共通しているんだろうと確信している。

そしてHSPの人は、HSPの人でしか出来ない何かがあるとも確信してる。

その理由は――説明しようがない。
これも僕の戯言の一つでしかない。
そう感じるから、そう思うだけで。何も保証もない。
ただ絶対的な保証なんて、この世界に存在しないんだから。