適応性
前回のブログで適応性が自分の資質であることに、意外性を感じていたのだけれど、よくよく考えてみれば、自分の人生はその場その場で対処して出来上がったものに近いような気がすると思い始めた。
「適応性」の資質がある人は”決められた未来”とか”ギチギチに決められた計画”が苦手らしい。本当に自分もそう思う。というか、心当たりでしかない。
何といえばいいか、決められたことをやるのは別に自分じゃなくて機械とかAIに任せればよくない? とか思っている。
「単純作業が大嫌い」というわけじゃないけれど、それを永遠と出来るような精神力は持ち合わせていない。
ローグライクゲームとか、そういったジャンルのゲームが好きなのは本当に分かり味が深い。「テラリア」とかも好きだったし、パズルゲーム系も好きだったりする。
でも、だいたいは200時間ほどで飽きる。それほどやれば、Endコンテンツよろしく! あとは実績集めの単純作業になるから、当たり前といえば当たり前なんだけど。
おすすめの職業に「ジャーナリズム」とか出てきたのが印象的だった。
だけど、自分はそれほど「世間の動向」に興味はない……というか、それほど重要なことじゃないような気がしてならない。
消費税どうのこうの、と言われても自分は政治家でもなければ、それらの日本社会における重要な役割を担っている人物ではないため、結果、どうなろうが「どうしようもない」に尽きる。※自分から積極的に選挙に行ったり、メディアを通して自分の政治的意見を述べることは可能だけれど。一、一般市民が変えられることは狭くそして限られていると個人的には思っている。
重要なのは、そのあとどうするか? であると自分は思う。
適応性の「起きてしまったことは仕方ない、という思考」がまさに今の自分に当てはまっているのかなぁと思う。
例えば、大事な物を失った場合。それが高価であれ、安価であれ、失った結果に対する答えというか、最善の策を練ることの方がより生産的で効果的な気がする。
失ったものを嘆いても、元には戻らないものが世の中には多いのだから。人でも、物でも。
話を戻すと、消費税が上がって「くそぉ! 政治家が全て悪いんだ! 俺たちの税金を無駄に使いやがって!」とデモ行進して抗議するよりも、上がったことによって、負担が大きくなったけれど、「そこからどう立て直すか?」を考えた方がより有意義と感じてしまう。デモ行進とか抗議が全くの無意味なのか? と質問されたら、それは「NO」であるけれど、それはあくまで自分たちにこれから出来ること、の一部の選択肢でしかないし、本質的な部分ではないような気がする。重要なのは、今、自分が何ができるのか? と、これから何をすべきなのか? という事柄だと思う。
とまぁ、自分でもつまらない記事になってしまったけれど、自分が持つ資質をフルに使って死ぬまでにある程度、社会貢献できればなぁと思ってる。日本国だけじゃなくて、世界規模で考えながら。
余談ですが、今自分は地域若者サポステに通っているわけだけども、とりあえず一通りの活動内容や、感想を後日書きたいと思います。
もし、これから社会復帰を考えている人や、引きこもってしまって「自分も世の中も闇しかない……」と考えている方に、ちょっとでもその事情を伝えられたなぁと思っています。でわでは。