誇大妄想をするHSPの戯言

HSP/HSSである中年男性が妄想をひたすらに書きなぐる落書き場

せつなさ

 何も考えないで生活している人が本当に羨ましいと思う。

僕は常に何かを考える癖がある。
勿論、そうじゃない「瞬間」もあるけれど、常に何か仕事している時とか、ゲームをしている時とか、誰かと会話している時とか。
すべてにおいて常に何かを考えている自分がいるのだ。

何かというのは、具体的なことだったり、象徴的で、誰しもが飽きれそうなことだったり、様々だ。
HSPである弊害なのかもしれないけれど、そのような人が僕の周りにはいなさそうなので、もしかしたら僕だけなのかもしれない――と、
そう思ってしまう。

HSPは孤独を好む……らしい。これに関しては僕は素直にYESと答えられる。
確かに趣味が合う人間同士の会話は楽しい、と感じられる時も一瞬だけあるけれど、実際は何も考えずに窓際に座って、何か暖かい飲み物を
飲むのが好きだったりする。でも、結局は何かしろ考えてしまう。

数年前に、まだ会社員だった時。長期の休みが取れたので、以前から行きたかった箱根温泉に足を運んだことがある。
その時の移動の最中にも、色々と考えていた。箱根につくまでの間に、様々な人間が僕の左右を通り過ぎていく。
ああ、この人たちの半数以上がいつもの生活を送って歩いているんだなぁ、と感じてしまう。
僕が初めて見る場所に人がいたとしても、その人は決して初めてではなく、普段通りの何も変わらない思考で、その場所にいるんだなぁと
僕は思ってしまう。

で、それがどうしたの? って質問されそうだけど、僕にとってはそういった場面を考えるだけで、何か胸のあたりが切なくなる。

人がどのように感じようが、人がどのような気持ちでいようが、結局、様々なものが居る組んでいる空間であることは確かで、
それをコントロールすることは決して、普通の人間にはできないだろうと考えてしまう。

……かといって、僕自身が何かコントロールしたいとか、その場所を支配したいということではない。
上手く説明できないけれど、大きな川の流れのように、酷く青々しい空の浮かぶ入道雲のように、
その対象に対して、自分の無力感に圧巻されるというか――うーん、うまく説明できない。

でも、決してマイナスな感情はそこにはなかったりする。「そうだよな」と何故か、最終的に自分で納得してしまう。

こういった納得を、自分の普段の生活になんとか取り入れられないだろうか? と考えているけれど、多分ずっとこのまま
そのような納得を得られないまま、人生が終わるんだろうなぁと今のところ、僕は思っている。